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芸予要塞跡「小島」中部砲台跡 - Central battery remains

中部砲台跡 - Central battery remains

中部砲台跡 - Central battery remains
小島の芸予要塞の中核をなす中部砲台には、この要塞の主砲である28cm榴弾砲6門が配備されていたほか、
地下室や井戸、井戸水の浄化装置などが造られ、山頂には司令塔が設けられていました。
28cm榴弾砲は、角度をつけて発射した弾が放物線を描いて飛んでいく大砲で、会場からは見えない構造となっています。
小島の要塞は、この場所で実践に使われることはありませんでしたが、明治37年(1904年)の日露戦争時には、
中部砲台の榴弾砲の2門が旅順に運ばれ、旅順攻略に活躍したと言われています。
現在では榴弾砲の砲座跡が残るのみでありますが、赤レンガ等で築かれた施設とともに貴重な遺構であり、
当時の緊迫した様子を知ることができます。
砲座跡奥の階段を山頂へ上がった指令台跡からは来島海峡の素晴らしい眺望を満喫することができます。
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by no_doiken_no_life | 2013-07-18 19:19 | Architecture

芸予要塞跡「小島」弾薬庫跡 全貌

弾薬庫跡 - Power magazine remains

弾薬庫跡 - Power magazine remains

弾薬庫跡 - Power magazine remains

弾薬庫跡 - Power magazine remains

弾薬庫跡 - Power magazine remains

弾薬庫跡 - Power magazine remains
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by no_doiken_no_life | 2013-07-12 23:39 | Architecture

芸予要塞跡「小島」弾薬庫跡 - Power magazine remains

弾薬庫跡 - Power magazine remains

弾薬庫跡は、山の傾斜面を現在のように掘り下げて、深い谷間のような窪地とし、周囲は山肌で護られています。
当時のモッコとスコップを用い、人力でこのような工事は並大抵のことではありませんでしたが、危険な弾薬を
貯蔵するために周囲には強靭な防壁が必要でありました。
小島の地質は閃緑岩系の岩石で、東側に斑れい岩が部分的にあります。
いずれも有色鉱物が多く、岩盤が柔らかいため、要塞工事には都合が良かったであろうと想像されます。
小島砲台の備砲は、28cm榴弾砲、24cm加農砲などで、主にそれらの砲弾を備蓄するための弾薬庫であったと思われます。
現在は屋根が落ちてレンガ造りの壁面が残るだけでありますが、弾薬という一番大事なしかも危険度の高い軍用品を
貯蔵するために、非常に厳重な工事と完璧な設備が施されたことが分かります。
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by no_doiken_no_life | 2013-07-06 14:16 | Architecture

芸予要塞跡「小島」発電所跡 全貌

発電所跡 - Power station remains

発電所跡 - Power station remains

発電所跡 - Power station remains

発電所跡 - Power station remains
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by no_doiken_no_life | 2013-06-27 19:00 | Architecture

芸予要塞跡「小島」発電所跡 - Power station remains

発電所跡 - Power station remains

瀬戸内海は古代から大陸につながる海の道であり、さまざまな歴史の重なりと文化の広がりを持っている。
なかでも、来島海峡は対岸の三原水道と共に芸予海域を通過する交易船の主要航路であった。
その来島海峡の中心部に位置する小島は、周囲約3kmの美しい島である。

19世紀末期になると、西洋先進国の植民地拡大戦争は激しくなり、その矛先は世界各地に向けられた。
帝政ロシアの場合は、冬でも凍らない港を求めて南満州に進出し、大連に総督府を置き、旅順に軍港をつくり、
極東艦隊を派遣して黄海を制したので、我が国は国家存亡の危機に見舞われた。
この事態を重視した政府は、露西亜、独逸、仏蘭西の三国干渉後、東京湾や瀬戸内海周辺の要塞建設を積極的に進め、
露西亜海軍の侵攻に備えた。このとき小島は「芸予要塞」に編入され、三原水道の大久野島と共に建設工事が始まった。
そして中部、北部、南部砲台を構築し、司令塔、弾薬庫、火力発電所、地下兵舎などの付帯設備が相次いで建設され、
明治35年(1902年)完成をみた。

小島砲台の調査設計には、城塞学の権威であった陸軍工兵中佐「上原勇作」があたった。
上原は都城の人。明治15年、仏蘭西砲工学校に留学、築城工学を学んだ。
帰国後、陸軍士官学校で教鞭を執る傍ら、日本各地の要塞建設を指導した。
のち、上原は陸軍大臣となり、元帥に指名された。
しかし小島砲台は一度も使用されることなく、明治38年(1905年)9月、日露戦争は我が国の勝利に終わった。

戦争が終わると、もはや局地的な国防の必要も無くなり、小島砲台は大正13年に廃止処分された。
そしてそのニ年後、軍用機の爆撃演習の目標に供され、のち、波止浜町(現 今治市)に払い下げられた。
ここに、小島砲台は28年間にわたる軍事要塞としての役割を終えた。
しかし小島要塞の遺構は百年を経た今も明治の面影を留めており、特に英国式工法による赤煉瓦の建造物は美しく、
歴史の証人として見事な光彩を放っている。
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by no_doiken_no_life | 2013-06-22 23:49 | Architecture

芸予要塞跡「小島」南部砲台跡 全貌

南部砲台跡 - Southern battery remains

南部砲台跡 - Southern battery remains

南部砲台跡 - Southern battery remains

南部砲台跡 - Southern battery remains
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by no_doiken_no_life | 2013-06-20 18:34 | Architecture

南部砲台跡 - Southern battery remains

南部砲台跡 - Southern battery remains

この南部砲台は、小島の中で一番南側の砲台で規模も小さかったが、馬島から糸や間間の来島海峡を防衛する配置にあります。
当時の日本(陸軍)は、帝政ロシアの東アジアへの進行に対して、国内の沿岸に防衛隊製として要塞の配備を進めました。
石垣の石は、当時1個が3銭で、妊婦の賃金が27銭であったと伝えられ、小島要塞の全構築費用は、当時の金で
30万円であったと言われています。
砲台の設計図は、陸軍工兵大佐<上原勇作>(後の上原元帥)によって製作されました。
整地工事は広島側の業者が請け負った労力だけでは足りず、今治側からも数百人が参加し、明治33年(1900年)に
終わったとされています。
大砲の備え付け工事は軍の機密を保つため、要塞司令官と地元有力者が選定した作業人員で務め、厳しい秘密厳守を課し
近辺の地域住民にも守秘を強いていました。
南部砲台跡には、竣工当時は軽砲(12cm-加農砲(カノン砲))2門が備え付けられました。
現在は砲座跡と地下兵舎が残るのみであります。
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by no_doiken_no_life | 2013-06-16 12:28 | Architecture

小島 探照灯跡 全貌- Serch light elevation remains

小島 探照灯跡 階段- Serch light elevation remains
階段

小島 探照灯跡 出口- Serch light elevation remains


小島 探照灯跡 塔- Serch light elevation remains
塔を見上げて

小島 探照灯跡 屋上 - Serch light elevation remains
空中庭園

小島 探照灯跡 木のトンネル- Serch light elevation remains
木のトンネル
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by no_doiken_no_life | 2013-06-09 19:08 | Architecture

小島 探照灯跡 - Serch light elevation remains

Serch light elevation remains

石の階段と赤レンガで築かれたこの探照灯跡は、北部砲台跡の探照灯とともに
芸予要塞の一躍である小島砲台の重要な機能であります。
探照灯(サーチライト)は、夜間に海峡を往来する船舶を確認するための照明で
一説には灯火は波方調の大角鼻の岩場まで照らしたと言われています。
今は台座の施設しか残っておらず、探照灯がいつの時期に撤去されたかは資料も
残っていません。
先の灯台(黒灯台)付近は、浅瀬で干満時には川のように流れる潮流が見られます。
向かいのお波止浜湾ではこの自然の干満差をりようして塩田や造船業が発達しました。
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by no_doiken_no_life | 2013-06-04 19:20 | Architecture

精霊の守り人

JADE

瀬戸内海は小島(おしま)と呼ばれる愛媛県の島です。
明治30年代に日露戦争に備えて芸予要塞が建設され、軍事遺跡が島内に数多く残されています。
後日写真アップします。

大三島で星を徹夜で撮ったので、その足で早朝にフェリーに乗り、島の奥の小山に行きました。
なんと言うかこう、湿った植物から生まれた蒸気のような霧のようなもやっとしたところから、
太陽の日差しがパーッと神秘的でした。

海外受けしそうな感じに加工したもののやっぱりどこかしら日本味が漂いますね。
こういう瞬間は、ヨーロッパだと、樹木の神「オーク」とか、「エルフ」とか。
動物だと「リス」でしょうか。
でもやっぱり、この写真は「天狗」とか「妖怪」、動物で言うと「カラス」でしょうか。
もののけ姫の「コダマ(木霊)」ってイメージ合うかもしれませんね。

やはり杉の木がそうさせるのでしょうか。
「オーク」は広葉樹の楢(ナラ)を始め、ドングリができる木の総称(厳密に言うと違うのですが
説明が長くなるので省きます) なので、線が細い針葉樹の木は日本らしいと言えば日本らしいのでしょうか。

そもそも「オーク」や「エルフ」は自然の神というイメージが強いです。
逆に「天狗」や「妖怪」は、人が作り出した神のイメージが強いです。

日本の杉も戦前、戦後に人工的に植林されているので、後者のイメージにあてはまるのかもしれません。
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by no_doiken_no_life | 2013-05-28 19:44 | Plant
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